店主訪問記

2021年09月16日

「素ヱコ農園」 松本 啓さん

店主
素ヱコ農園
代表
松本 啓さん

こだわりの自然農法から生まれた
栄養満点の卵が伊万里から新登場!

 「ばあちゃんの想いを未来につなげたい」。昨年、佐賀大学農学部を卒業後、伊万里市黒川町にUターン、故郷で一人、黙々と農業を営んでいた“末子ばあちゃん”の農園を引き継いだ『素ヱコ農園』の松本啓(さとし)さん。後を継ぐだけではなく、自らが理想とする、循環型農業を実現するために養鶏業にチャレンジ、自然由来で添加物なしの餌づくりや鶏にストレスを与えない平飼い養鶏でこだわりの卵、『ばあちゃんの昔たまご』づくりを行っている。耕作放棄地の農業用ハウスをすべて手作りで立て直し、クラウドファンディングで資金を募るなど、若き松本さんの挑戦に次ぐ挑戦と、その強い想いを伺ってきた。

Q・就農して約1年半で、個人の養鶏農家として一人だちされていますよね。そのスピーディーさに驚きます。そもそも、松本さんは農家志望だったんですか。
A・出身は農学部ですが、実は医学部志望でした。町医者になって、高齢者の役に立ちたいという想いがあったんです。残念ながら医学部には受からなかったんですけど、生き物や環境に関心があったので、あまり深く考えずに農学部の生命機能科学科に進学したんですよ。そこでタンパク質の働き方などを研究していました。正直、農家になりたいとは全然考えていませんでした(笑)。ただ、自分が生まれ育った伊万里市の自然や、中学・高校の時に6年間一緒に暮らした末子ばあちゃんとの暮らしが、今の自分に大きな影響を与えているのは確かです。

Q・今、松本さんのような若い農家さんが増えていますが、一度は都会に出たり、農協など組合に入ったりしている方が多いですよね。
A・もともと、田舎が好きなんです。若い人は自由を求めて都会に出る、と言いますけど、僕は逆に田舎に自由さを感じていました。自由さの感じ方って人それぞれと思いますけど、子どもながらに高齢者との触れ合いや、人と人との距離感が自然で居心地が良かったんです。かといって、町医者になりたいと思ってはいたものの、ばあちゃんの農園を継ぐ、ましてや個人で農業を営むなんて、大学卒業間際まで考えてもいなかったんですよ。実際問題、どうやって農家として利益を出していくか検討もつきませんでした。悩み、悩み、悩み抜いた結果、ここにたどりついたんです。

Q・そうなんですね。松本さんが個人農家の道に進んだきっかけは何だったんですか。
A・大学時代は研究畑だったんですが、もっと社会、現場に近いところに行きたいと思ったんです。そこで、大学を休学し、自分で調べて文部科学省のプロジェクトに応募し、オランダとパラオに約1年間留学しました。そこでは、現地企業でインターンをしながら最先端の農業を体験しました。また農業専門の情報サイトに記事を書くというライター業も兼ねていて、給与を得ながらオーガニック農法などの技術や姿勢を学びました。インターン先ではナノ技術を駆使したアグリテックを体験し、大きな刺激になりましたが、次第に自分の中で何かが違う…と感じたんですよね。

Q・具体的にはどのような点に違和感を覚えられたのでしょうか。
A・ひとことで言うと、ここは農場じゃない、工場だ、と。すべてテクノロジー…コンピュータで管理されていて、効率的ではあるもののぬくもりのようなものがないんです。人間の手が入るときは収穫と箱詰めの時だけで、東欧地区から季節労働者が出稼ぎに来ていました。種を植え、収穫まで関わる人間がいなかったんです。でもラッキーなことにライター業では、地元とかかわりの深いオーガニック農業を行っている方たちや、ケアファーム(高齢者、認知症や精神疾患のある人、障がい者などケアを必要とする人たちのデイサービスと農業を組み合わせたもの)を取材することが多く、サスティナブルな農業の進んだ考え方や姿勢を学び、体験することができました。この体験がなければ、大学で学んでいる研究に近い最先端のアグリテックの道へ進んでいたかもしれません。

Q・養鶏については、その頃から意識されていたのでしょうか。
A・その時はまったく意識していませんでした。ただ、生活する上で、スーパーではオーガニックの野菜や平飼いによる鶏の卵が置いてある光景が普通だったことに驚きました。オランダではサスティナビリティやアニマルウェルフェア(動物福祉)といった言葉をよく聞きました。アニマルウェルフェアとは、一方的に動物から搾取しない、動物の尊厳を守り、ストレスを与えずに持続的な飼育環境を目指す取り組みです。オランダでは僕たちがいただく肉や卵の飼育・作業工程が一目でわかるよう、どのスーパーにも展示されてありました。日本ではまだなじみが薄い言葉ですよね。日本では養鶏の9割以上が狭いゲージで育てられています。平飼いで育てられた鶏を“地鶏”というんですが、きっちりとした基準があり、1m2あたり10羽以下で飼育することが条件とされています。

Q・それは知りませんでした。オランダでは消費者が日常的に意識しているんですね。
A・今でこそ、日本でも安心&安全な食が注目されはじめましたよね。でも、僕がオーガニックの商品を買う理由を街の人に取材して聞いて驚いたのは、ほとんどの人が「地球のため、環境のため」と言っていたことなんです。個人の消費を地球規模で考えているって、シンプルに何てカッコいいんだろう!と感動しました。そこからですね。大量生産できなくても、非効率でも、環境にとって、人にとって、そして作物や動物にとって本当に良いことをしたい、循環型農業をしたいと思うようになったのは。

Q・なるほど。農園の名前にも由来していますよね。『素ヱコ農園』…末子ばあちゃんと、素=シンプル、エコ、と。
A・そうです。僕が農園をやるなら循環型農業を実現したものにしたいと。でも前例がないし、経験もないし、農家の知り合いもいない。ないものづくしで決心することができませんでした。しかも、留学前に就職活動も済ませていて、数社内定をいただいていたんです。佐賀に帰ってからも、悩んで、悩んで、内定先にはお断りを入れたものの、また企業検索する日々が続いて、大学卒業間近の昨年2月に、もう一社受けたんですよ(笑)。そこで就職試験に落ちて、とうとう行くあてがなくなって腹をくくったという感じです。すぐに気持ちを切り替えて、2月の下旬、愛知県のハーブ農家に一カ月間研修に行きました。

Q・それって昨年のことですよね。スピーディーで、ドラマチックで驚きです。松本さんはとにかく行動あるのみ、ですね。
A・今も行動しながら、何かを考えているという感じです。愛知県のハーブ農家では「雑草は宝の草だ。雑草を勉強しなさい」と教えられました。末子ばあちゃんの畑でスーパーフードである、スベリヒユを偶然発見したのもその教えあってからこそです。結果的にスベリヒユは鶏のエサに使っています。佐賀に戻ってから、農園でハーブを育てようとしたのですが、ちょうどコロナ禍にぶつかりました。ハーブの卸先は飲食店が多いので、研修先の農家やレストランのシェフから「今、ハーブをやるのはリスキーだ」と助言され、断念。先がまったく見えない状態で『素ヱコ農園』がスタートしました。

Q・まだ養鶏までたどりつきませんね。最初は何からスタートしたんですか。
A・まずは、農園に生えているものを売るしかありませんでした。末子ばあちゃんは職人気質で決して儲けを意識していませんでした。そこで、水菜をメインに野菜を詰め合わせて、個人のfacebookで発信し、反応を見ながら直販で手売りすることにしました。スベリヒユの卸業にも挑戦しましたが、これを職業にしていくにはきつい、ましてや自分の理想とする循環型農業の実現には程遠いと感じたんです。そこで思い出したのが、オランダで体験した養鶏です。面積が少なくても収益が上げられる農業が養鶏だというのは知っていました。自分の世界観と収益がマッチするなら、コレだと思ったんです。

Q・周囲で養鶏業を営んでいる人はいたんですか。
A・まったくいませんでした。養鶏については、脊振で養鶏業を営んでいる農家さんに電話をして教えを乞いに行きました。それが5月ぐらいのことで、とにかく必死でしたね。養鶏の技術を学んでも、鶏を飼う広々とした場所が中山間地域の伊万里にはない、その前に資金がない。悩んでたところ、偶然発見したのが耕作放棄地にあったボロボロの農業用ハウス2棟でした。ハウス1棟購入すると何百万とかかりますので、時間をかけてでも耕作放棄地を再生しようと思ったんですが、周囲の猛反対にあったんです。7年もほったらかし状態の耕作放棄地を再生させるのは無理だと。でも、ハウスの中に立派な金柑の木があって、それが生きていたんですね。そこで決心して、単独で所有者の方に直談判しに行きました。そして10年間借りることができたんです。

Q・松本さんの熱意が伝わったんでしょうね。
A・今考えると、周囲が反対したのは僕自身のことを考えて、心配してくださったからだと思っています。当時は本当に必死で前に進むことしか考えられず、あまり周囲の言葉に耳を貸さなかったところもありました。でも、だからこそここまでこれたとも思っています。僕が片づけを始めると、いろいろな方が手伝いに来てくださいました。またFacebookで発信していくと共感してくださる方が増えていったんです。農園の仕事をしながらハウスの片づけを行う日々が2カ月間続き、軽トラック10台分の量のゴミを捨てました。

Q・資金面についてはクラウドファンディングを利用されたと聞いています。
A・はい。8月から1カ月間、資金を募ったところ、目標額の120万円を上回る147万8500円が集まりました。本当にありがたいことです。その資金で、ハウスのビニールの張り替えや、小屋に使う木材や金網などの調達ができました。小屋はすべて共感してくださった方たちとの手作りです。また、鶏の飼育方法の勉強や自然由来で添加物なしのエサづくりの研究も同時に行いました。まずは米づくりからはじめ、豆腐屋さんや精米所に魚屋さんを探し、おからやいりこ、米ぬかなどを分けていだだけるようお願いしに行きました。そして9月に養鶏農家さんから鶏を分けていただいたんです。

Q・お話を聞いていて圧倒されています。すべてが同時進行だったんですね。
A・すべて初めてのことですので、試行錯誤しながら進め、知識を吸収していきました。ハウスが完成した11月には鶏を200羽に増やし、『ばあちゃんの昔たまご』と名前をつけて、卵をFacebookで販売していきました。するとリピーターさんが増えていったんですよ。現在は7割がネット直販で、3割が地元の店での販売です。最初、飲食店メインに周ったのですが、ほとんど断られました。やはり良いものより安いものが良いと言われましたね。それから、鶏は堆肥の発酵熱を利用してひよこから育てていき、現在は800羽まで増えました。ひよこの育て方は電気が主流ですが、堆肥発育雛は強く育つんですよ。またハウス内の金柑も鶏糞が栄養となり、すくすく育ち実がなるようになり、販売できるようになりました。

Q・素晴らしいですね。循環型農法を見事に実現されていらっしゃる。末子ばあちゃんはなんとおっしゃっていますか。
A・末子ばあちゃんには出荷の際、たまごを拭く作業を手伝ってもらっていたんです。今は、1日400個の卵が安定してとれるようになり、おかげさまで、リピーターさんの定期購入の増加でここ3カ月は黒字が続くようになりました。やはり直販は利幅が高いことを実感しています。いろんな方に手伝っていただいたので、これから養鶏業を拡大しながら、いろんな形で恩返ししていきたいと思っています。末子ばあちゃんにも先日お給料を初めて支払うことができたんですよ。ばあちゃんも歳が歳なので、以前のようにあまり農園に出ることが少なくなりましたが、とても喜んでくれています。

Q・養鶏を始めてわずか1年で、個人農家として直販事業に成功されたんですね。『さがファン』でも、松本さんの活動をサポートでき、嬉しいです。松本さんのような若い個人農家さんが、日本中に増えてくれればと願わずにはいられません。
A・まだまだ課題はたくさんあります。相手は生き物ですから、体調管理などわからないこともたくさんあります。毎日が勉強です。僕の目指す世界観は実現の一歩を踏み出したかもしれません。でも本当に僕がやりたいことは、生活費のための農業の成功ではなく、田舎にワガママな職業をどんどん作っていくことなんです。その手段の一つが循環型農業です。自分の理想とする好きなことや得意なことを職業とすることができたら、若い人でも田舎から都会に出ていくことはないでしょう。特に農業は生産以外に、加工、飲食、福祉など多分野に発展させていくことができます。僕は農業を起点にいろんな事業を展開していきたいと願っています。養鶏業のかたわら、農業体験なども行い、いろんな人に実際の取り組みを知っていただく活動も行っています。その輪が少しずつ広まっていき、未来につながっていけばいいなと思っています。


たまごたまご
たまごたまご
卵は一日、朝、夕と2回収穫する。『ばあちゃんの昔たまご』は「薬の代わりとして重宝されていた昔の卵のようなものを作りたい」という松本さんの想いが詰まっている

農園農園
農園農園
地鶏は1m2あたり10羽で飼育することが条件だが、『素ヱコ農園』の鶏たちはその2倍の広さのハウスでのびのびと暮らしている

えさえさ
えさえさ
鶏のエサもこだわり、地元のものを使った自然由来の発酵飼料を毎朝作っている。スーパーフードのスベリヒユにおから、いりこ、くずこめ、ふすま、牡蠣殻、緑餌など。農業体験も随時開催中だ

松本さん松本さん
やぎやぎ
たまにハウスから鶏が逃げ出してしまうことも。「何せ手作りの小屋なので」と笑う松本さん。隣のハウスには地元の農家さんから譲られたというヤギもいて、作業の合間に癒されているそう

すえこばあちゃんすえこばあちゃん
すえこばあちゃんすえこばあちゃん
80歳すぎてもトラクターを乗り回す末子ばあちゃん。ばあちゃんは卵拭きを手伝い、梱包や出荷は松本さんと奥さんが行う。松本さん夫妻とばあちゃんとの暮らし、松本さんの日々の想いや取り組みはぜひ、ブログを見てほしい

>>「素ヱコ農園」の商品はこちらからご購入いただけます。

取材:森泉敦子

  


Posted by さがファンショッピング  at 10:54Comments(0)素ヱコ農園